現実逃避行

これは余談ですが、自分と全く同じ顔の人がこの世に自分含め3人いるらしいです。

神はサイコロを振らない

はい3日目

僕は割と無神論者なんですよ。「割と」って付けたのは、運に賭けるとき神に祈ることもたまにはあるので付けました。都合いいですね。

今回は神がいるとかいないとかではなくて、もしいると仮定した場合神って何考えてんだろって昔思ったのでそれを書こうと思います。

所謂神って、宇宙を作ったとか、人間を生み出したとかいろいろ言われてますが要はこの世の全てを司ってるとして作られた偶像じゃないですか。(思想の介入)

現代に生きてると、この神というワードを目にすることって非常に多いと思うんですね。なんかすごいことをやった人に対して「お前神じゃん!!」みたいな。あと「神がかり的なショット」とか言うと思うんですけど、「神めっちゃおるやん」って思うんですよね笑。誰もそんなこと気にしてないですし、僕も死ぬほど使うのでよく分かります。「とにかくすげぇ」っていうのを手っ取り早く表せてとても便利なんですよね。

あとは最近「神はサイコロを振らない」というバンドの曲を聴いた時、このバンド名にめちゃくちゃ納得させられたんですよ。それと同時に神ってつまんねぇなとも思いました。どういった由来でこのバンド名を付けたのかは知りませんが、僕の解釈としては「神は運をすべて掌握しておりサイコロの出目をコントロールできるから振る意味がない」だと思いました。我々普通の人間は(頼む6出てくれ...!!!)みたいに祈るから一喜一憂するわけで、でもそれが神的には(今から6が出ます。)と念じたら6が出てしまうと。サイコロとしての存在意義が無いんですよ。振らなくていいわけですから、仮に神が桃鉄をやったとしても、特急カードを使った後「6、6、6。18マス進みます。」と言って目的地までの最短ルートを爆走。常時スペシャルカード状態という無双。

サイコロに限らず、人間って人生にランダム要素が少なからずあるから面白いんだと思うんですよ。将来何が起こるかわからない、誰とどんな会話をするかわからないから明日、明後日、来月、来年を楽しみに生きることができると僕は思います。「神は全知全能でなんでもできる」とよく言われていますが、神に出来ず我々人間には出来ることがあります。それが「ワクワクする」ということだと思うんですよね。全く想像のつかない未来があるからワクワクするし意欲も出てきます。それが神はどうでしょうか。1秒先も1日先も、100年1000年先も分かっている。クソ長いドラマの台本をなぞっているようなものじゃないですか。

そんな都合の悪い生き物、いる意味ありますかね?

 

これはあくまで余談ですが、つい先日の成績発表で「進級」の2文字を見た僕(無神論者)の第一声は「かみぃぃぃぃ!!」でした。

嫌いなワード

2個目ということで今回は、僕が死ぬほど嫌いなワードを理由とともにいくつか紹介します。恐らくワードに共感してくれる人はいるかも知れませんが理由はあんまり共感を得られないのではと思っていますね...

早速1つ目なんですが、ズバリ「ダメなものはダメ」ですね。こーれはもう今まで幾度となく耳にして、その度に沸々と湧き上がる爆発的な感情を抑えるのに汗を流した記憶があります。理由としてはもう明白で、完全に論理というものを放棄してしまっているからなんですね。そもそも「やったらダメ」なことには必ず理由があるはずなんですよ。「なんとなくダメ」なんてモノは存在せず、「それをしたらこうこうこういう影響があるから」とか、「今後に関わってくるから」とか、もっと分かりやすいこともたくさんあるんですよ。恐らくなんですけどこの発言をする人の心情としては「それをされたら自分が面倒なことになる」、だと思うんですね。それは自らの感情のために他人の言動を制限する、いわば独裁者の卵みたいなものじゃないですか。自分が嫌だと表現するのであればそこに議論が起こるのは必至なわけで、「その議論はしたくないけど嫌なものは嫌だから有無を言わせずダメって言っとこ」みたいな。もちろん、今後の成長のために理由を伏せるべき事象があることは重々承知で、そういったケースは除いているつもりなんですが、僕が怒りを堪えていたときにもこのケースがあったかも知れないですね。

 

そして2つ目は「言うことを聞け」です。そもそもこの言葉の意味を履き違えて使っている人があまりにも多いと感じますね。この発言をよくするシチュエーションって叱ってる時とかだと思うんですが、大抵の人が「言うことを聞け(私が言った通りに行動しなさい)」っていうニュアンスで使ってるんですよ。これかなり恐ろしくて、まず第一に「聞く」というのはあくまでListenなんですよ。言葉の表面では「私の言うことを聞きなさい(Listenしなさい)」というようなことを言っておきながら、発言者の意図を汲むと、この言葉の裏には「服従」が存在しているというとんでもないキラーワードなんですね。「ただ聞け」と言う体を装って蓋を開けてみれば「服従の強制」が顔を覗かせると。まるで私の意図したところではありませんと言わんばかりに装って本当の意図を暗に伝えるなんてとてつもなく卑劣な言葉だと思いませんか!?!?!?!?

直接「従え」と言うわけにもいかないから、便利な「言うことを聞け」に逃げると。まさにこれも独裁者の卵が言いそうですね!!!!!!!!!!!!!!

 

なんかただ考えてることをツラツラ書いてたら僕の大嫌いな自己啓発本に近いものになってしまいそうですね。

 

ここまで読んで気づきましたか?

 

「です・ます」調で書くか「〜だ。」の形で書くか定まっていないんですね。

自由とは

2回目の投稿でなんという変なテーマだ!!!!

某私立高校を中退して通信に転校した高校2年から高校3年までの間、有り余る時間をどう使っていたのか。ひたすらにボーッとしていた。ボーッとしているといろんなことが頭に浮かぶ。考えが巡り巡って、僕の場合「自由とは」というテーマに帰着することが多かった。

まずそもそも自由とは何だろうか。例えば、慶應義塾中等部は普通部に比べて「自由」だと言われている。ならその「自由」と言われる所以は何処にあるか。第一に制服だろう。襟付きならOKというのはもはや私服だ。他にも例は挙げられるが、それらは全て「相対的な自由」であって、多くの辞書で定義される「絶対的な自由」ではない。恐らく今日世間一般で用いられる「自由」という言葉はその殆どが前者である。

僕が思うに、この世に「絶対的な自由」というのは存在しない。全て与えられた物であり、その自由には必ず制約や責任が伴う。遥か昔から歴史上の多くの人々が「絶対的な自由」を求めてきたがそんなものは理想であり、幻想である。「絶対的な自由」というのは、渇望され生きるエネルギーとされる為だけに存在する偶像のようなものだ。ヒトとして生まれヒトとして生きる以上、完全な自由は手に入れようがないのだ。

これ以降の「自由」は「相対的な自由」という意味で用いる。

ほとんどの人が、「今自分は自由だ」と感じる瞬間があるはずだ。果たしてそれは本当に自由なのだろうか。

例えば溜まっていた宿題を全て提出した時。そんな時、人は「自由だ」と感じる。しかしまとめて提出された教授側はどうだろうか。自由を大幅に削がれるだろう。つまり、自分が「自由だ」と感じている時、それと同時に他の誰かが「不自由だ」と感じているのである。物質と反物質のように、この世には「自由」と同じだけの「不自由」が裏に隠れている。「自由を望む」=「他人の不自由を望む」という関係式が成り立つ。そして、この世界の「自由」の絶対量は一定であるということが言える。むずかしいね。

自分が「不自由だ」と感じている時、どこかの誰かを「自由」にしている。つまり、自由を望むよりも、不自由を望む方が人間として正しいのではないかということである。

 

しかし、僕はそんな出来た人間ではないので、今日も誰かの自由を消費して自分の自由を求める。

 

ここまで全部読んだ人いないだろ

自堕落の掃き溜めにようこそ

こんにちは。久しぶりの方もいるのでしょうか。シンプルに文才が皆無なのでこういった物を書くのは苦手なんですが、自分の頭の中をどっかに発散したいと思ったので始めました。拙い文章で読みにくいとは思いますが、適当に流し見していただけるとちょうどいいかと思います。これを読んだところで人生においてプラスにはなりませんが、かと言ってマイナスになることもないでしょう。その程度ですよ。僕の頭の中なんて。

最初なのでこの辺りで。